大型2輪ライダーのための「正当派テスト誌」&「実践ノウハウ誌」

2010年4月号企画

タイガー宗和の8時間耐久挑戦ライブ配信は終了しました。
結果と内容はビッグマシン携帯サイトから!



2010年の8H耐久レースはペアライダーの公式予選未計測により予選落ち。スタートラインにつくことはできませんでした。でも、出て良かった。負け惜しみじゃありません。「やれる」ことが分ったから。年をとっても、ブランクがあってもバイクには乗れます!


8H耐久後の宗和インタビューは雑誌「ビッグマシン」9月号の新六甲ブギ(最終回)に掲載されています。
雑誌「ビッグマシン」9月号はコチラから


タイガー宗和復帰レース、ビッグマシン・モバイルよりライブ配信

チーム・ヒットマンTKMウィズシュラ(TEAM HIT MAN TKM with SYULLA)でマシンはヤマハYZF R1。レーシングスーツ&グローブはクシタニ。ヘルメットはアライ。ゼッケンは36です。
チーム・ヒットマンTKMウィズシュラ(TEAM HIT MAN TKM with SYULLA)でマシンはヤマハYZF R1。レーシングスーツ&グローブはクシタニ。ヘルメットはアライ。ゼッケンは36です。

レースに出るのは9年ぶり。鈴鹿を走るのは11年ぶり。レースどころか、モーターサイクルそのものからもかなり長い間、離れていた「タイガー宗和」の復帰ストーリーです。ビッグマシンの連載は今春から開始していて、ここまでの模様はビッグマシンバックナンバーからご覧になることができます。

今年の8時間耐久レースには宗和のようなカムバックおじさんが結構多くて、40代以上は30人以上がエントリーしています。全出場者中2割以上が40歳以上。宗和選手は44歳。この年であの過酷な鈴鹿8H耐久に出場するのは「挑戦」ではありますが、実はけっこういるのです。モンダイはブランク。長いことレースどころか、バイクからも離れていた、ということのほうです。

20年前はカワサキのファクトリーライダーとして恵まれた環境で、走ることに専念していれば良かったのですが、今回の挑戦は「ただのプライベ−トおじさん」です。全日本選手権どころか、直前の鈴鹿300kmレースにもエントリーさえできず、ぶっつけ本番というドタバタになってしまいました。

相棒を務めるのは木村智博氏。昨年も出場していますが、これまた40歳のおじさんライダーです。

ビッグマシンの携帯サイト、ビッグマシン・モバイルより、この模様を同時中継にて記事配信します。
どうかお楽しみに!


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1995年 ファストバイフェラッチのレーシングスーツ姿の宗和。'93年よりAMAに挑戦していたが前年にカワサキとの契約が解除になり、ドゥカティに乗ることになった。この時のチームメイトはあのフレディ・スペンサーだ。
1995年 ファストバイフェラッチのレーシングスーツ姿の宗和。'93年よりAMAに挑戦していたが前年にカワサキとの契約が解除になり、ドゥカティに乗ることになった。この時のチームメイトはあのフレディ・スペンサーだ。
1995年 ファストバイフェラッチのレーシングスーツ姿の宗和。'93年よりAMAに挑戦していたが前年にカワサキとの契約が解除になり、ドゥカティに乗ることになった。この時のチームメイトはあのフレディ・スペンサーだ。
1987年 スポーツランド菅生のTBCビッグロードレースTT−F1表彰台。優勝はヤマハの町井邦生 2位、宗和孝宏。トップ走行中に転倒して再スタート、トップに2秒差まで迫る2位を得て「タイガー宗和」の異名をとる。

宗和孝宏(そうわたかひろ)プロフィール

1965年 9月21日生まれ 兵庫県神戸市出身。幼少の頃より鼻っ柱が強く、行く先々でトラブル続出だった。高校進学後も、毎日ケンカ。学校中が「宗和しばく」の大合唱となり、体力がもたず(本人談)約10日間で高校を中退。16歳の誕生日とともに取った中免&RZ→峠通い→プロショップ・キヨでのバイト生活から自然とレースの道へと進む。
1986年 国際A級昇格 TT-F3にスポット参戦 ゼッケン54
1987年 チームグリーンより全日本TT-F1参戦 ランキング21位 TBCビッグロードレースで転倒再スタート2位、トップ町井に2秒差までせまりタイガー宗和(命名ライディングスポーツ K記者)誕生/ビッグマシン姉妹誌「ヤングマシン」に連載コラム開始。
1988年 チームカワサキより全日本TT-F1参戦 ランキング5位 初戦2位と好調。8H耐久で日本人最高位の5位入賞
1989年 チームカワサキより全日本TT-F1参戦 ランキング8位 ル・マン24Hに出場し、3位入賞。
1990年 チームカワサキより全日本TT-F1参戦 ランキング4位
1991年 チームカワサキより全日本TT-F1参戦 ランキング3位 筑波で初優勝/鈴鹿/菅生で優勝。3戦ともウェット。
1992年 チームカワサキより全日本TT-F1&スーパーバイク世界選手権参戦 スーパーバイク世界選手権にスポットで参戦
1993年 チーム・マジー・カワサキよりAMA SB参戦ランキング5位 ロブ・マジーはマフラー等カスタムパーツメーカー。宗和は川崎重工との契約で、チーム・マジーにはKMC(カワサキUSA)から委託でマシンとパーツが届いていた。ルーキーオブザイヤー獲得。
1994年 チーム・マジー・カワサキよりAMA SB参戦ランキング3位 ポモナで2位。ランキング3位を獲得したがカワサキとの契約は打ち切りとなる。
1995年 ファーストバイフェラッチ(ドゥカティ)よりAMA参戦 トライアウトを受け、資金を作ってドゥカティよりチャレンジ。初戦デイトナ、インフィールドでエンジンブローして転倒。クビの骨にクラックが入る。
1996年 全日本SB参戦(ドゥカティ) 俳優の岩城滉一氏が主宰するK’sガレージより全日本へ復帰。SP武川の協力もあり、ドゥカティでの参戦。トラブルもしばしばで、最高6位でくらい。
1997年 チームイワキより全日本SB参戦 HRCサポートによりRVFを獲得、ミネで2位。8H耐久で辻本 聡とペア。
1998年 チームイワキより全日本SB参戦 
1999年 チームイワキより全日本SB参戦 鈴鹿で3位。8H耐久では大島正とペアに。この年、大島はもてぎでレース中に他界する。
2000年 チームイワキよりもてぎ耐久で4位 辻本聡と競り合いになるが、表彰台に届かず。
2001年 デイトナ200とカリフォルニア・スピードウェイ参戦 CBR600をモトバムで購入(!)朝霞で組んでもらってデイトナへ送る。最後のレースは4月か5月のカリフォルニア・スピードウェイ。骨折して、決勝はリタイヤ。


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